「貯蓄から投資へ」というスローガンの下、日本経済の資本(及び資産)効率を高める為に政府と金融機関が直接金融(市場型間接金融含む)を促すようになって20年にもなる。個人金融資産の活性化を狙い、1998年頃には銀行窓口における投資信託の販売が解禁され、株式売買の手数料も自由化へと規制緩和された。ところが一向に大きな成果が現れないのは何故だろうか?
日本銀行が今年の6月27日に発表した資金循環統計(速報)によると、日本の家計金融資産合計額は1835兆円で、その53%(977兆円)が現金・預金であり、リスク資産と云われる株式・投資信託・債務証券等の合計は僅か15%(278兆円)でしか無い。リスク資産比率が54%である米国や31%の欧州地域と比較すると日本は圧倒的に資産効率が悪い。
デフレが長らく続く日本において「(国民による)正しい選択だった」とする意見もあるが、資本・資産のリスク選好と景気の関係はニワトリと卵の議論と同様で、明確な因果関係は説明できない。少なくとも、日銀がゼロ金利政策を導入して20年、デフレが継続し、上場企業の約半分で日銀が大株主となっている現状は不本意と言える。
日本人はリスクを取るのが嫌いな保守的な人種か?
世界の投資家から「日本人は保守的な性格で、リスクを取るのが嫌い、安全を重視する文化なのか?」と質問されることが多い。ギャンブル、投機、そして投資については参加者の目的と取り組み方、そして市場構成によって区分けされている。また、日本のパチンコ・パチスロはギャンブル(賭博)では無いというのが法的解釈だが、ここでは概ね「お金を出し」、何らかのリスクを取ることによってリターンを得る(またはお金を失う)という緩い括りで話を続けたい。

日本人はリスク資産(株式・投資信託・債務証券等)の約10%程度、年間25兆円以上ものお金を(この緩い括りの)ギャンブルに使っている(ちなみに、同様の統計は米国で0.5%以下)。IR法案に基づいて新設されるカジノでは年間数千億円の賭博が増加する一方、政策としてはこれでパチンコ・パチスロの利用者減少を加速する算段だ。
投機の要素が強いオンラインFX(外国為替証拠金取引)の預かり証拠金残高は1兆3178億円であり、その年間取引高は4835兆円(矢野経済研究所、2017年3月)にもなる。実にリスク資産残高278兆円の17倍ものリスクを取っている。勿論、ギャンブルや投機をする目的や手法をリスク投資と比較するのは乱暴だが、日本人を「リスクを取るのが嫌いな保守的な人種」という考えは当てはまらない。
何故日本人はこれほど「投資」が嫌いなのか?
理由は日本における社会構造や制度に基づいた文化にある。1955~1973年までの高度経済成長期に策定された国民所得倍増計画(1960年~)は一億総中流階級社会を生み、今も続く終身雇用や手厚い社会保障等が、資本主義・経済自由主義・市場自由主義といったリスク投資を促す考えを抑圧している。必ずしも欧米の社会システムが正しい訳ではないが、適切な水準とガバナンスをともなった社会保障を手当てし、その上でどういった競争経済を促すのか?日本人の「投資」嫌いの根は深い。
仮想通貨は「投機から投資へ」を実現できるか?
現在の仮想通貨市場は市場がほぼゼロサムであり、日常で仮想通貨(またはトークン)を消費(支払いに利用)するケースも未だ少なく、「投機」が殆どと言える。今年3月に米国ビットワイズ社がSEC(米国証券取引委員会)に提出した資料によると、市場で公に申告されている売買代金データの95.5%は水増し(ウォッシュトレードや見せ玉)であり、「投機+バブル」という表現がより正しいのかもしれない。
しかし、仮想通貨市場は(従来型の金融市場に比較して)グローバルなトレンドであり、国境を超えた経済活動をサポートするのに最も適切だ。日本的な社会構造を経済自由主義や市場自由主義へ誘引する期待ができる。セキュリティートークンを含む仮想通貨全般がより実体経済に結びついたものへと発展すれば、「貯蓄から投資へ」ではなく「投機から投資へ」という流れを新たに産むこともできる。
20年以上取り組んでも成果の見えない「貯蓄から投資へ」ではなく、「投機から投資へ」という資金の流れをつくる意味合いは大きい。ギャンブルではリターンを狙う一方、そのリスクを取る「楽しみ」が重要な要素となっている。利用者保護の観点からリスク・リターンの説明と理解が周到な事は不可欠だ。ゼロサムではなく投資対象の成長性(経済効果)も考え、さらに「楽しみ」を含んだ金融商品を提供できるか?そこに日本の資本・資産効率を改善する鍵がある。